炭酸ガスに右往左往するのはもうやめましょう(2011.10.15)

【私は人為的影響による地球温暖化には懐疑的である。科学的根拠が希薄なまま政治的な駆け引きの材料となり、さらには巨額の税金が温暖化対策と称して原子力発電などに費やされていることや、温暖化絡みであればおよそつまらない(と私が思う)研究でも資金を獲得しやすい状況には苦々しい思いを抱いてきた。ただ、「環境派」やマスコミの圧倒的な情報発信力に太刀打ちする力はないので、良書を勧めるくらいしかできない。】

【この本はお勧めである。現在の気候変動は自然現象と考えられることが自然科学の一般的な論理構成で説得力をもってわかりやすく書かれている。宇宙線と太陽活動、雲の関係など、新しい知見も豊富である。IPCCの信頼性を根本から揺るがした(はずの)「クライメートゲート事件」についても、冷静かつ簡潔に紹介されている。福島第一原発事故から4か月後の出版となったのは偶然のようだが、エネルギー問題についても長期的かつ現実的な視点からいくつかの興味深い可能性について解説されている。】

【唯一気になったのは、なぜIPCCが発足し、炭酸ガス主因説を広げてきたのかについての記述である。私は原発推進のためだと推測しているが、深井氏はp.45ではそのような推理は「後知恵」だとしているのに、p.161ではこの推測を肯定的に紹介している。まあ、私を含む自然科学者にはしょせん推測以上のことはできない。誰かが真剣にお金の流れを解明すればクライメートゲート事件以上に「地球温暖化問題」の深層が見えてくると思うのだが。】

【CO2削減こそが世のため人のためと考えて人は、まずこの本を読んでみてほしい。少しは「懐疑論者」の言うことにも意味があると思った人は、さらに、先に紹介した赤祖父氏の本もお勧めしたい。】

元の文献

深井 有(2011)『気候変動とエネルギー問題』中公新書,268ページ,ISBN978-4-12-102120-5 [#22496]

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地球環境問題は共産主義対自由主義の論争??(2010.07.22)

【チェコの現職大統領による「環境主義」批判ということで読んでみたが、期待はずれだった。私自身は、人為的影響による地球温暖化に懐疑的である。しかし、この本の著者は、環境問題と自由を対比させたり、環境主義と共産主義を同一視しており、共感できなかった。また、主張はあるが根拠が示されておらず、自然科学の論法に慣れている身としては説得力を感じなかった。】

【もちろん、私と重なる主張も多い。人口問題についてのマルサス主義的解釈の誤りや予防原則をいたずらに振り回すことの不合理性、アル・ゴアの偽善、世の中の改善部分を見ない傾向などなど。環境主義者は物事を金で測ることを嫌う傾向があるという指摘にもうなずける。ただ、いずれも新しい論点ではないので、あえてこの本を読むこともないであろう。】

元の文献

ヴァーツラフ・クラウス(著)(2010)『「環境主義」は本当に正しいか?』日経BP社,194ページ,ISBN978-4-8222-4798-0 [#21851]

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実践には何の役にも立たない野生動物の事典(2009.07.29)

【タイトルに惹かれたのと、授業の参考に使えるかと思って、現物を見ないでネットで注文したのが失敗だった。序章の最初に「野生生物保全の実践につながることを念じて」とあるが、実践につながる話はわずかで、それも他の本にも出てくる話なので、この本を買う値打ちはないと思う。】

【全体は11章からなる。このうち羽山伸一氏による第7章「野生動物の保護管理」と、安藤元一氏による第8章「ペットと野生動物保全」だけは、実例も出てくるし、論理的にもよく整理されていて、読むべき内容がある。しかし、小原秀雄氏と3人の1930年代生まれの著者が書いた他の章は、用語などについての概念的な話に終始し、しかも、日本語としても何を言いたいのかさっぱり分からない文章である。】

【著者には故人もおられるので、あまり辛辣なことは書きたくないが、日本の野生動物の保全や保護管理についての基礎研究や実践は、彼らの限界を超えて進んでいると思う。これから勉強しようとする人は、この本は無視していいと断言できる。】

元の文献

野生生物保全論研究会(2008)『野生生物保全事典』緑風出版,172ページ,ISBN978-4-8461-0817-5 [#21633]

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プレートテクトニクスと地団研に見る科学と政治のあるべき距離(2008.09.24, 2008.10.17)

【生物学や農学を学んでいる今どきの学生に「地団研」と言っても何のことか分からない人が多いだろう。今は知らないが、少なくともかつては日本共産党の影響が強かった学術団体である。私は大阪市立大学の学生・院生だった頃に地学関係者ともそれなりに交流があったし、行事案内などのポスターもよく目にした。1980年頃だったと思うが、日本にもすでにプレートテクトニクス論が紹介されていて、その壮大で統一的な説明に私は大変興味を惹かれた。しかし、地団研の友人に聞くと「流行ってはいるけど、証拠が乏しく、一つの仮説にすぎない」とつれない説明。その後、地団研における井尻正二氏崇拝のような雰囲気も知ることになり、何か納得できないまま年月が過ぎていった。そんなわけで、やっと待望の本が出たという感じである。】

【読みやすい本ではない。私は政治的な背景についてはかなり分かる方だと思うが、さすがに地球科学の専門的な内容に立ち入った部分はしんどくて、かなり飛ばした。しかし、3章・4章の地団研関連の経緯を読み進むうちに、地団研の負の影響について「やはり」という思いを強くした。学会の民主化などに地団研の果たした役割は大きいが、一方で、政治やイデオロギーとの距離を適切に保てなかったということだろう。反「近代主義」や反「機械論」、反「輸入地学」を掲げたあたりから、すでに学術団体からは逸脱していた。地質学界では影響力が大きかっただけに、プレートテクトニクスに基づく国内での議論を遅らせる主要な要因となった。個々の研究者が政治に関わるのは問題ないが、組織としては距離を置くべきだと思う。また、政治権力を利用しようとしたり研究資金への執着が強すぎる科学者には注意が必要だろう。生物学分野ではちょっと古いが、本書にも出てくるルイセンコ論争が一つの重要な教訓である。】

【プレートテクトニクスが日本の地質学界で受け入れられるのに時間がかかった状況は、実は行動生態学(あるいは社会生物学)が日本でなかなか受け入れられなかったのと類似している。どちらも米英で生み出され、それまでの事象の見方を大きく変える新しいパラダイムであった。時期的にもほぼ同じである。行動学や生態学は、地質学と同様に、個別の事象や地域に対象を限定しても研究として成り立つので、統一的な理論を軽視しがちである。また、生物学分野には地団研のような組織はなかったものの、今西錦司氏らの日本独自の「進化論」を心情的に支持する人は少なくなかった。新しいパラダイムのもとで実証研究が進む中で、反対論者も次第に受け入れざるを得なくなった点も同じである。もっとも、行動生態学の方は高校までの教科書や一般書、テレビ番組などにはまだまだ反映していない点がプレートテクトニクスとやや違っているかもしれない。それどころか、行動生態学の言葉だけを適当に使った通俗書や時代錯誤の反「ダーウィニズム」本も次々と出てくる始末である。行動生態学は北米でも根強い反発があり(詳しくはジョン・オルコック著、長谷川眞理子訳『社会生物学の勝利』を参照のこと)、私にはとても論理的とは思えない批判を正義ぶって書き続けたのは、日本でも人気の高いグールド(S. J. Gould)である(2002年没)。たまたまかもしれないが、彼も共産主義者だったようだ。】

【本書は、別に地団研だけを責めているわけではない。むしろ地団研の資料も多用して淡々と歴史をつづっている。しかし私は、地団研は次の総括の際には研究活動や自らの組織運営などについて何らかの反省を表明すべきだと思う。そうでないと、学界の民主化や団体研究といったポジティブな面も評価されなくなるだろう。そういう意味で、地球科学関係者には本書は是非読んでおいてほしい。生物学関係の学生に勧めるかと言われると、微妙だが、科学史や政治に興味のある学生なら学ぶところはあるだろう。誤解のないように付け加えておくが、私は共産主義が科学にマイナスだと言いたいわけではない。事実を見る目が曇らないようにするには政治的イデオロギーと適度な距離を保つことと個人崇拝に陥らないことがポイントだろう。】

元の文献

泊 次郎(2008)『プレートテクトニクスの拒絶-戦後日本の地球科学史』東京大学出版会,258ページ,ISBN978-4-13-060307-2

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省資源はけっこうだがCO2云々の話にだまされるな(2008.09.09)

【このコーナーで繰り返し書いているように、私は地球温暖化問題を人類の最重要課題、あるいはそこまでではなくても主要な環境問題、ととらえる論調は嫌いである。ゴア米国元副大統領とともにノーベル賞まで受賞したIPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、2007年の第4次評価報告の政策決定者向け要約で「20 世紀半ば以降に観測された世界平均気温の上昇のほとんどは、人為起源の温室効果ガスの増加によってもたらされた可能性がかなり高い」(日本政府の仮訳)と述べている。それに対して、オーロラの研究で有名らしい赤祖父氏の主張1)は、地球は1400-1800年頃に気温の低い「小氷期」があり、それ以来の気温上昇は自然現象であること、IPCCのシミュレーションでは地域的な変異をうまく再現できていないこと、気温変動のうち自然変動の部分をしっかり同定してその原因を明らかにしないと対策を誤ること、「今対策を始めなければ手遅れになる」といった危機をあおる論調に振り回されてはいけない、といったことである。私もその通りだと思う。すでに膨大な国家予算が地球温暖化対策に投じられているようなので、「その大切な資金をエネルギーと食糧の確保に使うべきである(p.177)」という赤祖父氏の主張に大いに共感を覚える。】

【ただし、言葉にやや言い過ぎかなという表現があるのと、繰り返しが多いこと、図表の説明が英語のままだったりして不親切なことがちょっと残念ではある。また、科学者の中にも予防原則(precautionary principle)による対応を主張する人は多いので、説得力のある反論が必要だとも感じた。赤祖父氏は「政治的意図」を指摘しているが、どういう意図なのかを明記していないのもちょっと物足りないところだ。】

【IPCC第4次報告後に出たもう1冊、伊藤氏と渡辺氏による本2)も読んだ。こちらにも赤祖父氏の主張は紹介されている。他にもいろんな話が出てくるが、やや内容が散漫であり、揚げ足取り的な表現も多い。ゴア氏の『不都合な真実』のご都合主義的内容に対する反論の部分はわかりやすく整理されている。ゴア氏の言っていることはおおよそ科学的立場からはかけ離れたものであり、世界中の良心的な人が支持したり何となく納得しているのは私も残念に思っているので、皆さんに読んでもらいたい。】

【なお、IPCCの報告は環境省のサイトから翻訳も原文も読める。解釈はともかく、資料はそれなりに充実している。一部のマスコミや環境学者の言い分よりはずっとマシである。さて、赤祖父氏が明記しなかった政治的意図だが、私は原子力発電の推進だと思っている。スリーマイル島原発の事故が1979年、チェルノブイリ原発の事故が1986年である。当時ヨーロッパではスウェーデン、イギリス、ドイツなどが将来的な原子力発電所の全廃を打ち出すなど、原発に対する逆風が吹き荒れた。そしてIPCCの発足が1988年。偶然だろうか。原子力産業界としては大成功だろう。人類の出すエネルギーそのものではなく温室効果ガスに注目が集まっているのも原子力産業には好都合である。ちなみに、現在日本は、米国、フランスに次ぐ世界第3位の原発国であり、地球温暖化対策の名目でかなりの予算が原発に流れている(集計しているヒマはないが)。みんなもう少し考えてみよう。】

元の文献

1) 赤祖父 俊一(2008)『正しく知る地球温暖化』誠文堂新光社,東京,183頁 [#21353]

2) 伊藤公紀・渡辺正(2008)『地球温暖化論のウソとワナ』KKベストセラーズ,東京,274頁 [#21354]

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◆神への信仰は生物学と両立しない(2007.08.26)

【著者のドーキンスは無神論者を公言し、「自然界の外に神がいて宇宙や人類を創造してきた」というよくある宗教的な見方は、科学の敵であるだけでなく人々の幸福にも敵対すると考えている。原理主義者たちは、キリスト教であろうがイスラム教であろうが、生物学的進化を認めない。そういう点では似たもの同士であるにもかかわらず、宗教は、残念ながらしばしば寛容ではなく排他的であり、些細なきっかけや「理由」による宗教戦争や残虐行為が人類の歴史で繰り返されてきた。確かにドーキンスの言うとおりだ。】

【では、そんな宗教がなぜ人々の心をとらえるのか。「何か生存上有利なことがあるのではないか」と考えるのが進化生物学者である。ドーキンスの見解は、蛾が街灯に集まるのと同じように、別の適応的な形質の「副産物」だろうというものだ(5章)。その別の形質とは、大人の言うことを子供が信じるということである。人類の生活スタイルを考えれば、蓄積した経験・知見を大人から引き継ぐことには大いに適応的な意義があるだろう。宗教指導者は子供のこうした特性をよく理解し、利用しているので、ドーキンスはとりわけ子供の宗教的洗脳に警鐘をならしている。一方、道徳については、極限的な状況での価値判断が宗派や信仰の有無にかかわらず共通していることから、進化生物学的な基盤があり、宗教に先立つものだとしている(6章)。また、当然ながら、ダーウィン進化論に対する創造説の反論がいかに陳腐なものかも解説されている(4章)。】

【たぶん原文のせいもあるのだと思うが、本書の文章は挿入句やちょっとした脱線がやたらと多くてお世辞にも読みやすいとはいえない。また、ドーキンスがこの本で中心的に取り上げているのは一神教であり、ルーツを同じくするユダヤ教、キリスト教、イスラム教である。とりわけキリスト教原理主義の台頭が著しい米国を気にしている。そのため、人物名なども含めて日本人には理解しにくい記述が少なくない(特に2-4章)。しかし、日本人も戦前・戦中には「万世一系の神」という名の下に数々の過ちを犯したし、宗教が進化生物学の成果と両立しないのは一般的である。したがって、生物学やその応用分野を志している学生にはぜひ読んでほしい。念のため付け加えておくが、私は(ドーキンスと同様に)宗教的背景のある文化遺産をおおいに尊重するし、宗教的行事に参加することもあるし、例えば山に行って日常からかけ離れた現象に出会えば畏敬の念を感じる。そうした人間的な行為や感覚に神への信仰は必要ないし、ましてや証拠の積み重ねではなく特定の教えをただ信じさせようとする宗教は百害あって一理なし、ということだ。】

元の文献

リチャード・ドーキンス(著),垂水雄二(訳)(2007)『神は妄想である-宗教との決別-』早川書房,東京,578頁.ISBN978-4-15-208826-0 [#21059]

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◆日本農業と生物多様性に関心のある人は農地問題の本質を知るべし(2007.05.05)

【私が授業で「農家を守ることと農地・農業を守ることは違う」とか、「小規模農家は農業生産には関心が低い」といった話をすると、学生はいかにも意外という反応をする。こういった問題について◯×式の小テストに出題すると、「見方によって正解が違う内容をテストに出すべきでない」といった反発を受けたことも何回かある。実は、多くの保全関係者も同じような反応を示す。彼らは、農業の担い手である農家(百姓という言葉が好まれる)を守ってこそ農業環境に依存する生物も守れると主張し、ややアンチ行政のニオイがすることもあって、マスコミや学生にも受けがよい。】

【しかし、農業は経済活動である。家計に占める農業収入の割合がわずかでも農家をやめないのには理由があるはずだ。農業そのものが好きだといったこともあるだろうし、人によっても違うだろうが、全体の動向を左右するのは経済的な理由である。それは実は農業生産そのものではなく農地の転用価値だ。こうしたことをズバリ指摘している本書および著者は、かなり骨がある。本質的な問題を知りつつ自分の専門分野でさえ何の行動もしていない私と違って、(その実現可能性は別として)具体的な対処法も提案している。「農地問題こそ農業改革の焦点」という著者の指摘は、まったくその通りだと思う。地産地消の推進やトレーサビリティーの向上、多面的機能などは、小手先の話にすぎないだけでなく、ヘタをすると農地問題という本質から国民の視線を逸らすことになっているかもしれない。地域ごとに農協が1つしかなく、しかも全農家が加盟するという今のJA体制が公正な競争を妨げているとか、国内農産物の方が安全という根拠はないとか、行政やJA、農業委員会は減反の割り当てには厳格なのに転用には寛容だといった話が次々と出てくる。こうした話を意外だと感じ、かつ農林生態系における生物多様性の保全に関心がある人には是非読んでもらいたい本である。】

【少し残念なのは、日本の国民が「衆愚化」しているという記述が何回も出てくるなど、著者にはやや苛立ちが感じられる点である。エゴの指摘はその通りかもしれないが、私に言わせればそれ自体は全生物に共通の特性であって、大事なことはそれを前提としたルール作りである(神門氏の趣旨も同じだろうが)。欧米と比較して日本では水田農業が中心だとか、民主主義の歴史が浅い、同質性が強い、島国といった「日本特殊論」的な記述にもやや違和感を感じた。さらに、全体にもう少しデータを元に論を進めてくれると自然科学分野の人間にはありがたい。岩波書店から出ている速水佑次郎・神門善久『農業経済論・新版』を併せて読むように薦めたい。】

元の文献

神門善久 (2006) 『日本の食と農』NTT出版,東京,309頁. ISBN4-7571-4099-1 [#20871]

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◆環境問題を見る大局的で冷静な視線(2006.10.23)

【私はいわゆる地球環境問題というヤツにはかなり懐疑的であるし、ポリシーとしてそういうネタで予算を申請したり、論文などを書いたりはしないことにしている。以前にも地球温暖化論を疑問視する本を紹介したが、ここで紹介する本は3年以上前に出版された翻訳本である。何しろ小さい字の2段書きで資料部分を除いても600ページ近いため、遅読屋の私にはなかなか読めなかったが、ついに夜の宿舎で老眼鏡をかけて読破した。話題書だけに、中身や批評についてはネットで検索すればいろいろ出てくるし、私には関連資料までチェックして批評するだけの力量はないので、ここでは私の立場を表明するだけにしておく。】

【この本にケチを付けようと思えばいろいろあるだろう。しかし、本書の視点は一貫している。環境問題を特別視することなく、人類にとっての他の重要課題と並べて大局的視点で冷静に見るべきだと言っている。地球環境は全体としては改善しており、それを支えているのは経済的発展であり、一方で環境問題への取り組みはコストがかかる(人的・経済的資源を使う)ので、限られた資源を他へ振り向けるのとどちらがいいかを常に考えるべきだということだ。こうした基本的なスタンスに私は違和感がない。高度成長時代に鼻をつまんで橋を渡るような川を見てきた私には、魚を主食とするサギやカワウ、カワセミが川でふつうに見られるようになったのは明らかな改善である。地球温暖化名目で投じられている予算や人的資源を他に振り向ければどんなことができるかと考えることもある。もちろん、本書でも繰り返し書かれているとおり、経済が発展すれば環境問題は自然に解消するとか、政治や社会がこのままでいいと言いたいわけでは決してない。これ以上詳しくは本を読んでもらった方が早い。本書は大部であるが、食糧、エネルギー、水・大気汚染、生物多様性、地球温暖化といった項目の中で興味のあるものだけを拾い読みしても損はないだろう。】

【多くの一般市民や学生、「環境派」学者には本書や私のようなスタンスは受け入れられないだろうな、と思う。遺伝子組み換え作物やアメリカ産牛肉の狂牛病問題、中国産野菜の残留農薬問題などに対する国民の反応を見ていると、危機意識をあおるというのは成功しやすく、マスコミや野心的な学者・政治家にとっては自然な行動なのかもしれない。私も授業内容で大げさな表現や引用がないか見直す必要がありそうだ。国内ではリスク評価という視点から横浜国立大学の中西準子氏が他とはひと味違う論評を展開しているので、ときどき覗いてみることをお勧めする。なお、本書の参考文献は文藝春秋ホームページにあるが、訳者のサポートページの方が情報が充実しているようだ(相互にリンクされている)。】

【2006年12月には技術評論社から「地球温暖化は本当か?―宇宙から眺めたちょっと先の地球予測―」という本が出た(ISBN:978-4-7741-3001-9,矢沢潔著,本体1580円)。私は読んでいないが参考まで。】

元の文献

ビョルン・ロンボルグ(著),山形浩生(訳) (2001) 『環境危機をあおってはいけない』文芸春秋,東京,672頁. ISBN4-16-365080-6 [#20527]

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◆農林政治家に日本農業を託せるか?(2006.03.29)

【私は常々授業などで守り育てるべきなのは農家ではなく農業ないしは農地だとか、日本の農業政策が国際的には孤立しているという話をしている。その背景を野生動物学や生態学関係の授業で説明するには時間的にも私自身の力量にも限界があるので、疑問を感じる人も少なくないだろう。日本農業が現在のようないびつな構造になってしまう上で、いわゆる農林族議員の果たした役割は小さくない。この本は、控えめな論調ながら農政ジャーナリストの立場からその実態を分かりやすく教えてくれる。新書版の読みやすい本なので、日本農業の将来が気になる学生にはぜひ読んでみてほしい。】

【著者自身も書いているとおり、農業政策や農業構造の問題点を指摘することはできても、農村の生活を今後どうしていけばいいのかという答は簡単には見えてこない。共産党から自民党まで農家の顔色を伺うような政策ばかり並ぶ中で、将来の日本農業を見据えた指針を掲げる真の農林政治家が出てきてほしいものである。】

【それにしても、先日まで行われていた生態学会でも改めて感じたが、日本の生態学者や保全関係者は農村・農家の支援に目を奪われすぎているような気がしてならない。空間的にも時間的にも国際的にももっと広い視野で農業の課題と展望を提起していくのも研究者の仕事だと思うのだが。】

元の文献

中村 靖彦(2000)『農林族-田んぼのかげに票がある』文芸春秋(文芸新書146),東京,230頁 [#20320]

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◆地球温暖化論は「環境派」の踏み絵?(2006.03.23)

【私は地球温暖化の話が嫌いである。近年の気温上昇がそれほど深刻とも思えないし、ましてや、どこまで人為的な影響か疑問だからだ。原子力発電の推進という意図が見え見えというのもある。こう言うと、「そんなことを言っていると将来取り返しのつかない事態になる」と忠告する人が必ずいる。その多くは「環境派」を自認している人たちだ。地球温暖化論を憂うかどうかは、事実上、「環境派」の踏み絵になってしまっている。】

【この本は前から気にはなっていたが、大部なこともあってなかなか読み出せなかった。社会科学系の著者だからか、シミュレーションによる確率的な予測について誤解があるようだし、自然科学系の学術書に慣れている身には冗長に思える部分も少なくない。しかし、温暖化論の根拠がいかに薄弱かは十分に分かるだろう。環境派を自認する人、あるいは目指す学生にはぜひ読んでもらいたい。】

【思えば、私が環境問題や生態学に関わるようになった大きなきっかけの一つは、高校生時代に読んだ『成長の限界』(ダイヤモンド社1972年)である。先月だったか、久々に斜め読みしてみると、そのシミュレーションや議論の粗雑さにあきれてしまった。そしてその雰囲気は、温暖化論のバイブルであるシュナイダーの『地球温暖化の時代』(1990年、奇しくも同じ出版社)とそっくりなのである。生態学の道に進んだことに後悔はないが、二度とだまされたくはないし、ましてや、地球温暖化論を研究予算獲得のための手段にはしたくない。こんなことを言っているから「主流」にはなれないのだが。】

元の文献

薬師院 仁志(2002) 『地球温暖化論への挑戦』八千代出版,東京,334頁.[#20319]

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◆不正行為の当事者が「目撃者」として語る言い訳(2006.02.14)

【ちょっと前に国際行動生態学会のニュースレターに掲載された不正行為についての記事を紹介し、A.P. Mollerの件を取り上げないのはけしかんと書いた。ところが、しばらく「積ん読」状態になっていたニュースレターの次号(2005年11月)を見ると、驚いたことに、そのMollerが「目撃者の視点から」不正行為の扱いについて提言しているではないか。】

【彼は、雑誌Oikosに掲載された葉っぱの非対称性に関する論文について、母国デンマーク政府により不正行為があったと認定されている。この件については彼自身がこの記事で引用している援護射撃記事の他に、Science(303:606-609), Nature(427:381)両誌に記事が出ているので、ここで私が改めて解説するつもりはない。しかし、彼のニュースレター記事によると、「当該データの大部分はテクニシャンが取ったものであり、不正の指摘後、自分たちで計り直したところ不一致があったので論文を取り下げた」ということだ。つまり、テクニシャンの監督不行届はあったかもしれないが、自分自身は不正行為はしていないと言いたいらしい。さらに、現在の彼の雇用主であるフランス科学院(CNRS)が不正行為の証拠は見つからなかったするレポートを出していることを紹介している。CNRSのウェブサイトにそのレポートがあるというが、見つけるのに一苦労した。中身をちゃんと読んでみると、データが適正に保存されておらず検証しようがなかった、ということが主要な結論であることが分かる。】

【いくら巧みに不正行為をしても、数を重ねるうちに必ず矛盾を生じてしまうものである。彼への疑いは上記のOikos論文以外にも多数挙げられている。私自身も、初期(1988年)にデータおよび解釈の矛盾を取り上げたコメント論文を某誌に投稿したところ、不公正な扱いによってリジェクトされたことがある。カナダ・アルバータ大学のA. R. Palmer教授のホームページも参照するといい(Publicationsのページ内に"Irregularities in data reported by A.P. Moller"の項)。実は、Mollerは日本鳥学会の伊藤基金による1993年国際セミナーで日本に招待されているので、直接知っている人も少なくないだろう。私も努力家であるとは思う。また、拙著(日本生態会誌53:233-236)にも書いたように、不正行為の告発があっても、第三者機関による結論が出るまでは告発者と同様に被疑者も完全に保護されるべきである。しかし、Mollerの場合は、いろいろ言い訳(や非難)はするが、不正行為を否定する証拠、つまり元のデータを出すという簡単明白な潔白証明ができていない。学生の皆さんは彼の論文を無視するようお薦めする。】

【それにしても、こうした事件が後を絶たないのはなぜか。それは、不正行為によって利益を得るのは容易である一方で、不正行為の告発や検証には報酬が乏しい、というまさに「非対称性」があるからだろ。したがって、不正行為の告発を促したり罰則を厳しくしてそのリスクを大きくすることと、不正行為の検証で報酬を得るプロが必要なのではないだろうか。】

元の文献

Moller, A.P. (2005) Improving the processing of scientific misconduct charges: an eyewitness perspective. ISBE Newsletter Vol.17(2):34-35. [#20286]

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◆行動生態学の重鎮は不正行為に寛大?(2005.06.22)

【カナダとイギリスの著名な行動生態学者が共著で「科学上の不正行為についての初心者向けガイド」を国際行動生態学会のニュースレターに書いていたので、期待をもって読んでみた。不正行為はしばしば話題になるのに誰も行動を起こそうとしない理由とか、最適モデルによる説明は、目新しさはないものの、さすがになるほどと思わせる。しかし、歴史的背景と称してメンデルを持ち出したり、アンケートに不正行為かどうか微妙なものをたくさん挙げて、結局、不正行為と科学的な行為や成果の区別は難しいと印象づけようとしているように思える。さらに、自分たちの分野での事件として、Science誌上で不正行為として取り上げられたA.P. Mollerの件(303:606-609, Jan. 2004)ではなく、1960年代の、しかも比較的マイナーな雑誌(Colonial Waterbirds)に取り上げられた海鳥の件を例示しているのも、恣意的ではないかと疑われても仕方ないだろう。しかも、学会や会員に対して何ら具体的な改善策も提案していない。】

【私は読んで悲しくなってしまったが、なるほどと思う人も多いかもしれない。ニュースレターはここをクリックすれば読める。また、アンケートもMontgomerieのサイトに公開されている。興味のある人はのぞいてみることをお勧めする。なお、ニュースレターでは著者の名前が愛称になっている(Bob=Robert, Tim=Timothy)。】

元の文献

Montgomerie, R;Birkhead, T (2005) A beginner's guide to scientific misconduct. ISBE Newsletter, Vol. 17(1):16-24. [#19998]

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