日本占領期に覚えた日本の歌

− マレーシア、イポー −

  

夕方六時から、イポー中心部のパダン近くのレストランで、シンガポールの出張から戻った陳氏(機械公司の老板[社長]、南洋大学卒)が食事に招いてくれた。会社の従業員や取引先の関係者ら十名あまりの華人といっしょに、鶏の丸焼きのビールパーティーとなった。

 しだいに酔いがまわってくると、皆が第二次世界大戦中の日本軍のことについて語り始めた。だんだん華語(標準中国語)よりも客家語の会話が多くなり、私にはよく理解できなくなってきた。

 「三年八カ月・・・・とにかく日本軍からひどいめにあわされた。つらかった(辛苦)・・・・。」

 陳氏の兄は、日本軍占領中、町から逃亡し、ジャングルの中に隠れ、そして、五歳の時から銃を射つのを覚えたという。彼の母親は、もしものことを考えて男装した。

 Tapahから来たある華人は、日本軍占領中に覚えさせられた日本の歌を、五十年近く経過した今でも、よく記憶していた。日本南進の時、彼は十一歳だったが、「君が代」、「愛国の花」、「見よ東海の・・・・」、そして李香蘭が歌って大流行した「夜来香」、「何日君再来」、「支那の夜」などを少しずつ思い出しながら、片言の日本語の歌詞と中国語で歌った。

 気がつくと年輩の華人たちもいっしょになって歌っていた。私も、シンガポールの南洋大学留学中に、牛車水(チャイナタウン)の屋台で二百円くらいで買った海賊判音楽テープで覚えた「何日君再来」を中国語で歌った。なかには、「しょじょじの狸ばやし」を急に思い出して、歌い出した者もいた。抗日の軍歌のような勇ましい行進曲的な歌になると、若い華人もいっしょになって歌った。

 十数人の華人がビールのジョッキを手に持って、たった一人の日本人である私を取り囲んで、歌い続けた。

 日本軍のマレー半島侵攻の時に十一歳だったというTapahから来た華人の母親が、実は日本軍に刺し殺されたということを、陳さんから聞いたのは、それから三日後のことであった。

(一九九〇年八月)

イポー駅 イポー中心部(チャイナタウン)

フィールドノートから