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元イギリス兵のセンチメンタルジャーニー ― タイ、クワイ川(戦場にかける橋) ―
早朝五時半に目をさました。六時半にホテルまで、マイクロバスが迎えに来た。バンコク市内のあちこちのホテルを回り、十人あまりの観光客をピックアップして、七時二〇分、バンコクを出発。 八時五五分、バンコクから五六キロメートルのナコンパトムの町を通過。一路カンチャナブリをめざす。道路の両側は、サトウキビとトウガラシの畑が多い。あちこちの農家では、真っ赤なトウガラシを干していた。 一〇時一五分、バンコクから一三〇キロメートル離れたカンチャナブリに到着。その後、映画「戦場にかける橋」で有名になったクワイ川の河岸に着き(写真一)、そこで戦争博物館を参観。ここでは、戦争中、日本軍が連合軍側捕虜をいかに虐待したかを示す写真や道具が展示されていた。この戦争博物館の展示説明には、やたら“JAP、JAP”と書いてあった。 このマイクロバスに同乗した客は、一組のインドネシア人夫妻と私を除き、その他はイギリス人やオランダ人など旧連合国側の人であった。私ひとりが日本人であることを意識しないわけにはいかなかった。 しかし、このツアーの一行の中で最も気を使ったのは、私よりもタイ人ガイドであったに違いない。彼は、戦争中の話になると、どうしても日本の悪口をいうような説明ばかりになった。休憩のたびごとに、彼は私に対して、日本人の中にも親切な人がいた・・・・と言っては、気を使ってくれた。私が日本人であることを知っているのは、どうやら彼だけのようだった。ヨーロッパ人の観光客には、同じアジア系である日本人もタイ人も、容貌だけでは区別がつかない様子であった。 このツアー客の中にイギリスからきた一組の老夫婦がいた。横耳で話しが聞こえてきたが、この夫は、戦争中、泰緬鉄道の建設に従事させられたという。六カ月間、シンガポールで捕虜生活をおくり、その後、マレー半島を経由して、この泰緬鉄道の建設現場に連れてこられたそうだ。 マイクロバスがしだいにクワイ川に近づいてくると、彼はマイクロバスの前面に広がる景色を凝視し始めた。どうも見覚えのある景色になってきたらしい。彼は少々興奮気味にしゃべり始めた。気の利いいたタイ人ガイドは、突然、マイクロバスを一時停車した。そして、このイギリスからきた元兵士を、それまで自分が座っていた助手席に案内した。 クワイ川に架かる「戦場にかける橋」に着くと、このイギリス人夫婦は、鉄橋の上で肩を組んで記念写真を撮ってもらっていた(写真二)。私は、とうとう最後まで、自分が日本人であり、彼が日本軍の捕虜になったシンガポールにある大学に留学中であり、さらには私の名前が、日本軍のマレー侵攻作戦の司令官山下奉文と同じ「Yamashita」という姓であることはついに言い出せなかった。 (一九七九年一一月) |