| 書 評 |
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山 下 清 海 著 チャイナタウン 世界に広がる華人ネットワーク 丸善株式会社,、2000年8月、208p.、2,300円(本体)
(岡山大学 大学院自然科学研究科[環境理工学部]教授)
Tでは、華僑と華人の違いや世界の華人人口の分布が説明されている。華人のほとんどは東南アジアに居住しており、マレーシア・インドネシア・タイ・シンガポールにはそれぞれ、200万人以上いる。また、南北アメリカには300万人、ヨーロッパには60万人以上、オーストラリアには30万人、日本には13万人の華人がいる。さらに、華人経済の伝統的な特色として、零細で小規模経営、工業よりも商業への進出が多いこと、同族・同郷的組織による経営、地縁・血縁的な結びつきや個人的信用の重視をあげつつ、大きく変容していることを指摘し、華人の生き方・考え方を示す四字熟語「白手起家」・「落葉帰根」・「衣錦還郷」などを紹介している。
Uでは、まず、チャイナタウンの特徴的な家屋景観として、レンガ造りで棟割り長屋形式の店舗兼用住宅(店屋)、精神的なよりどころで神々をまつった廟、観光地化のシンボルの楼門(牌楼)、強い日差しやスコールを避けるための通路である五脚基(騎楼)を説明している。次に、中国料理店・食料品店・食材販売店などの「食」に関する店舗・露店の意義と、子豚の丸焼き(片皮乳猪)・海南鶏飯・牛肉麺・肉骨茶(バクテー)・醸豆腐(ヨンドウフ)・焼き餃子(鍋貼、pot sticker)・上海蟹(大閘蟹)・棒棒鶏などの中国のさまざまな地方料理と飲茶の特色や食文化を述べている。
Vでは、福建・潮州・広東・海南・客家・福州・興化・上海などの華人方言集団を取り上げ、福建人はシンガポール・マニラ・マラッカ・ペナン、潮州人はタイ(米の流通)、ベトナム・カンボジア・ラオス・フランス、広東人は北米・ヨーロッパなどの世界各地の著名なチャイナタウンの多くとの結びつきが強く、大規模なチャイナタウンでは華人方言集団の住み分けがみられることを実証した。また、相互扶助的機能をもつ同郷・姓氏・同業会館の変容と華人の言語生活の実態をみている。さらに、華人のふるさと、僑郷では、華人の援助・寄付・投資によって大学などの施設が建設されたり、経済が発展・繁栄した多くの事例が指摘されている。
Wでは、観光地になっている横浜中華街、神戸南京町、長崎新地中華街の形成が説明されている。横浜についてはとくに詳しいが、日本人がチャイナタウンを調査する難しさも報告されており、興味深い。
Xでは、華人の割合が高くて観光にも力を入れているシンガポールのチャイナタウン、牛車水(ニューチャーシュイ)以外の東南アジアのチャイナタウン(ジャカルタのグロドック、バンコクのヤワラー通り、マニラのオンピンストリートなど)は、華人と現地人との複雑な関係があるために、観光地にはなりえず、商業地にとどまっていることを指摘している。ベトナムのホーチミンのチャイナタウンであるチョロンは17世紀末以来、広東人や潮州人などによって米の取引を中心に発展してきたが、社会主義国家建設による企業の国有化や資産階級の資産制限などにより、華人を取り巻く環境が厳しくなり、チョロンは急速にさびれてきたという。
Yのアメリカ合衆国のチャイナタウンでは、サンフランシスコ、オークランド、ニューヨークのマンハッタン・クイーンズ区フラッシング・ブルックリン区の8番街、ホノルル、カナダのチャイナタウンでは、ビクトリア、バンクーバー、リッチモンド、トロントとその衛星都市の様子が詳しく取りあげられている。移民の発端はゴールドラッシュらしく、その後は、広東省の珠江デルタ南西部の農村から大陸横断鉄道の建設工事のために多くの中国人が渡米した。サンフランシスコやニューヨークのマンハッタンのチャイナタウンは著名な観光地でもある。
Zのヨーロッパのチャイナタウンでは、ロンドンのソーホー、パリの13区とベルヴィルを、エピローグではオーストラリアのシドニーとメルボルンを説明している。ロンドンの華人の多くは1997年まで直轄植民地であった香港から渡ってきた広東人・客家人である。パリの華人では、古くは浙江省の青田地方や湖北省天門地方の出身が多かったが、1975年のサイゴン陥落以後、インドシナ系華人(難民)が増加したことが指摘されている。
各章には、各都市のチャイナタウンの地図が必ず載せてあるので、巷で見掛ける世界の国々・都市の観光ガイドブックに載っているそれらよりもわかりやすいかも知れないし、観光ガイドブックではお目にかからないチャイナタウンもあると思う。この種の細かな情報は、実際にこまめに歩き回って観察・調査・記録しないと、まとめることができないので、非常に貴重である。
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