は  じ  め  に

山 下 清 海

 

 かつてマレーシアで華人社会の調査をしていた際に、ある華人の同郷会館を訪れた。「最近、日本人の研究者や学生がよく尋ねて来るが、日本人はよほど華人に関心があるようだね。そういえば、だいぶ前にも日本人がいろいろ華人について調べに来たが、そのあとすぐに日本軍がやって来たよ」と言って、会館秘書役の華人の老人は笑った。確かに、第二次世界大戦前、東南アジアへの侵攻を模索していた日本は、現地で経済的に大きな力をもち、反日的である「華僑」に対して強い関心を抱いていた。当時から、「金儲けが上手で、なんとなく不気味な存在」としての日本人が抱いてきた「華僑」イメージが、いまだに尾を引いているような気がする。

 今日、世界各地どこに行っても、漢字の看板を掲げた華人経営の中国料理店があり、バイタリティーある華人の姿に出くわす。日本の居酒屋でも、中国からやって来た若い華人が一生懸命に働いている。以前に比べ、いっそう身近な存在になっている華人であるが、これまで華人社会について知りたいと思っても、華人社会の伝統的な特色から今日の動向まで、わかりやすく解説したような本はなかった。

 編者自身も、『東南アジアのチャイナタウン』(古今書院)、『チャイナタウン―世界に広がる華人ネットワーク―』(丸善)などの華人社会に関する本を執筆してきたが、今回は、幸いにして、華人社会について専門的知識と豊富な体験をもっておられる方々の協力を得て、華人関係の入門書の決定版を刊行することができた。執筆者は三二名(うち九名は華人)に及ぶが、華人自身の視点や多彩な視点を重視して、研究者のほかに、華人社会の実務で活躍されている方々や新聞記者の方々にも執筆に参加し、多彩な執筆陣を構成することができた。

 本書では、華人社会の伝統的な特色だけでなく、新しい面、変化しつつある面も積極的に取り上げるよう努めた。学生、研究者のみならず、社会の幅広い層の方々に歓迎され、旧来のステレオタイプ的な「華僑」イメージを払拭し、最近の華人社会の動向も知ることができるような本を目指した。

 本書の構成は三章からなる。第1章では、華人社会の骨格にあたる部分を論じる。すなわち、華人の歴史、経済、政治、言語、教育、宗教、社会組織などについて、それぞれの分野で専門的に研究している方々に、できるだけわかりやすく解説していただいた。

 第2章では、日本の華人社会について取り上げる。まず、日本の華人社会の歴史や民俗文化の特色について論じた後、日本の三大中華街(横浜中華街・神戸南京町・長崎新地中華街)がある横浜・神戸・長崎の華人社会の歴史と現状について解説する。執筆者の中には、各地の華人社会のリーダー的な方々にも加わっていただき、華人の生の声を伝えていただいた。第2章の最後には、まだあまり知られていない、日本の華人社会の今の姿について考察する。

 最後の第3章は、世界の華人社会について取り上げる。まず、世界各地の華人社会の動向をみた後、現地体験豊富な方々に、世界各地の華人社会を、興味深いトピックを中心にレポートしてもらった。古くから「海水到るところに華僑あり」と言われてきたように、読者の多くが「こんなところにも華人が・・・、あそこにもチャイナタウンが・・・」と再発見されるに違いない。

 ところで、「華人」と「華僑」の用語については、第1章で詳しく解説するが、本書では原則として、中国を離れて海外に居住する中国系住民の総称として「華人」の語を使用する。しかし、華人が居住する地域の条件や時代も異なると、本書のすべてにおいて「華人」に統一することは容易ではなく、一部においては「華僑」あるいは「華僑・華人」、「華僑華人」と表記していることをお断りしておく。

 本書が、これまであまり知られてなかった華人社会の真の理解に役立ち、また、より多くの方々が華人社会に興味・関心を持っていただければ幸いである。