| 《中国》
●台北郊外・永和市の韓国系華人街 【S氏、2001.1】
正月に永和市の韓国帰りの華人の多く住むストリートを見てきました。
場所は永和市中興街一帯です。
店の看板には「韓」「金浦」「仁川」などの文字が見られ、韓国土産などと書かれた看板も見られました。
売っているのは衣料品がほとんどで、電気毛布などを扱うところもありました。
また衣料品と一緒に朝鮮人参、海苔、あかすりタオルなどの雑貨なども並べられてました。
中興街には90件くらいの店があるようですが60%くらいが韓国から帰ってきた華人により経営されているようです。
細い路地には山東水餃の屋台が出てました。
●中国の都市の牌楼建設 【上海、K氏、2000.9】
最近はチャイナタウンだけでなく、中国国内の各都市の城煌廟(旧市街)が観光地化のため牌楼を建設しています。
私の最近いった街でも、寧波、蘇州、南京、杭州いずれの街にも存在しました。
他の地域はわかりませんが、中華アイデンティティーからくるものでしょうか。
昔、北京で中華風の屋根を持つビルの建築ラッシュがありましたが、その理由に中華風建築だと建築許可がわりあい簡単におり易いと聞いたことがあります。
逆に欧米風のモダンな建物はいつまでたっても許可が下りなかったそうです。
●中国・寧波 【上海、K氏、2000.7】
最近仕事の関係で寧波に行くようになりました。
寧波の人は非常に経費等のお金の感覚に厳しく“ケチ”と思わされる事が多々ありました。
聞くところによると、上海人でも寧波人はケチとおもっているらしく、また寧波人は中国で一番金儲けがうまいとのことです。
街中見てみると確かに豪華なレストランも多く、海鮮料理の有名な店に行った所、予約なしでは入れないほどでした。
それに夜の町が盛んなこと。
なるほど商売の盛んなところなんだと感心しました。
香港の商売人の寧波系の占める割合は三割との話も聞きました。
華僑について調べていてもあまり寧波出身の華僑について見かけなかったので今回新たな発見でした。
考えてみれば、以前働いていた会社の上司が祖籍が寧波の華僑でした。日本の老華僑にはまだ寧波系も多いのでしょうかね。
今週また行ってきました。非常に暑いです。
海鮮の豊富な地域で香港風の海鮮料理が流行っています。
5、6年前から中国の香港化が言われていましたが今になってみるとなるほどその通りになってきています。
上海では香港人と上海人は外見では区別がつきません。
ほんと発展しました。僕などは、上海人より汚い格好していますから上海語で良く話しかけられます。
《韓国》
●ソウル・仁川のチャイナタウン 【N氏、2001.2】
先月24日〜31日まで韓国(ソウル・釜山)に旅行に行って参りました。
目的は韓国のチャイナタウン(?)の視察です。もっとも視察というよりは散策といったほうが適切かも知れませんが。
ソウルから地下鉄一号線で約60分行った所に「仁川」というところがあり、かつて唐人街として栄えていた所だそうです。
現在も華人は居住しているとのことですが、チャイナタウンというよりは中華料理店が数軒ある程度でした。
しかし駅をおりて南側に目を向けて驚嘆したのが、とても立派な横浜の中華街にも匹敵するような立派な「牌楼」が聳え立っていたということです。
それに圧倒され期待をかけて「牌楼」をくぐったのですが、実情は既述した通りで少々がっかりしてしまいました。
次に、ソウル一の繁華街「明洞」を訪れました。
ここのはずれに小規模ながらも唐人街が形成されています。
「牌楼」は存在しませんが、華僑学校、中国大使館(韓中国交樹立前は台湾大使館だった)があり、中華料理店、中国書籍店、中国食品店等数十軒密集しており、華人テナントが入居しているビルの一
角に「韓国華僑協会」という看板が掲げられていたのを現認しました。
私のソウル滞在中は、丁度韓国では旧正月を祝っている時で、夜7時というのに店は全て閉められていましたが、所々シャッターは半開きで店の中に電気がついていて人がいるということは確認できました。
そのとき、前出の韓国華僑総会が入居しているビルから同会幹部らしき人間が数人出てきました。
彼らは何やらマージャンにでも行こうと誘い合っていましたが、彼らが話していた華語は”普通話”でしたが、それはかつて私が中国ビジネスに携わっていた際によく耳にした南方系福建訛りの”普通話”ということが識別できました。
恐らくここの華人は歴史的経緯から見て台湾系が多いのではないのでしょうか。
以上、簡単ではありますが韓国のチャイナタウン(?)を見聞した結果を報告させていただきました。
このようにブラッと散策するだけでも結構楽しいものです。
《東南アジア》 ●タイ・バンコクのチャイナタウンの牌楼 【編集者M氏、2000.9】
『チャイナタウン』(丸善)、早速購入して読了いたしました。
仕事を始めて以来、足を運ぶ国が限られてしまったため、まだ行ったことのない国のチャイナタウンの話を、非常に興味深く読みました。
ぜひ時間をとって訪れてみたいです。
そのかわり同じ国に何度も行けるようになったので、定点観測のまねごとができそれはそれで楽しいです。
特にタイには年に2回、必ず行くので、バンコクのチャイナタウンは隈無く歩いております。
そしてなんと、バンコクのチャイナタウンに、今年牌樓が建ちました。
去年から工事をしていて、今年の4月に行ったら完成していたのです。
道路名表示も、他の地域はタイ語名をそのまま英語に置き換えたものが掲示されていますが、チャイナタウンは「ヤワラー」ではなく「China
Town」となっていました。
観光地化は着々と進んでいるようです。
《北アメリカ》
●アメリカ・ロサンジェルス郊外のニューチャイナタウン 【ロサンジェルス、M氏、2000.8】
私は現在ロサンゼルス近郊のフラートンにある大学院で学位習得の為勉強をしております。
現在の専攻はアジア研究とは全く関係のないものなのですが、車で15分ばかりの所に新興チャイナタウン(ローランドハイツ/ハシエンダハイツ)がありましてしばしば足を運んでおります。
ですのでいつのころからか(ちなみに国際政治をやっていた学部生時代は関心もあまりなかったのですが)『極』趣味的に華人社会を観察し始めていました。
チャイニーズの友達をたくさん得たことも理由のひとつだと思いますが、ここではやはり彼等の存在を無視はできません。
この地域一体は近年造成された準高級住宅地で、当然のことながら住人の大半も華人であります。
先日も日曜の昼下がりにラーメンを食べに出かけまして、もうとっくに慣れたはずなのですが、ベンツ、BMWの新車で乗り付け、嵐のような食堂でラーメンをたべる当地の華人の方々にまた圧倒されてしまいました。
同時に『このひと達はどこから来てどこまで行くのか』とぼんやりと考察を始めたわけのなです。
同じアジア系の日系人社会の発展経緯と比較しますと際立った違いを見せる華人社会でありますが、
そのメンタリティーや環境の違いは何なのか。
ただここで私がみている社会は80年代前半からのいわゆる『新移民』の華人社会でありまして、既存のチャイナタウンではないのです(この「新移民」と移民の違いは、日系社会でもあるようです)。
経済的な面で見れば同じアジア人の日系社会がその勢いで当地で繁栄してもなんら不思議ではありません。
そういう地域もありますが華人社会には遠くおよびません。
彼らが持つものは何なのか?現在私が感じておりますのは、経済的政治的理由もさることながら、彼等の『空間的(地理的)感覚の違い』ではないかと思うのです。
そこが海の外で違う文化であるまえに、そういう認識を超えて『生活圏の一つ』に映っているように思うのです。
彼等のボーダーレスな(グローバルとも言えますでしょうか)生活域の拡大は大変興味深いです。
同時に空間移動が大変容易になった現代社会において、その勢いで拡大した彼等の生活域が今後同じ場所にとどまるかどうかも関心があります。
すでに『故郷から離れればもしかしたら2度と戻れない』などという時代ではありませんし、新展地への移動も容易であります。
《南アメリカ》
●ブラジル・サンパウロの華人社会 【ブラジル、S大学、N氏、2000.7】
ある研究所の客員研究員として、ブラジル特にサンパウロ都市圏のアジア系エスニック集団について調査・研究しております。
さて近年、中国系移民の商業エリアへの進出が激しい状況ですが、バイロ・オリエンタル(旧日系人街)のバロン・デ・イグアペ通りや中央区の5月23日通りなど、チャイナタウン化が進んでいると見られるエリアが現れています。
現在、ブラジルの華人系人口は10〜15万と見られておりますが、残念ながら、ブラジル側にははかばかしい統計資料がありません。(連邦警察にはあるのでしょうが、一般公開されておりません。)
移動性の高いグループでもあり、その把握は簡単では内容です。
《ヨーロッパ》
●フィンランド・デンマークのチャイナタウン 【編集者M氏、2000.9】
7月中旬か8月中旬にかけての1カ月、仕事でフィンランドとデンマークを回ってきました。
北欧にはチャイナタウンと呼べるほどの場所はありませんが、デンマークの首都、コペンハーゲン中央駅の西側に、中国系の商店(食料品店やレンタルビデオ店)がポツポツあります。
そのあたりは安宿街で、一般にはややガラの悪い地域として認知されているようですが、オープン以来30年という激安中国料理店もあります(店主は奥さんと広東語で会話していましたが、私には普通語で話しかけてきました)。
別の場所にある高級中国料理店では、店の前に「WONG 1」というナンバープレートを付けた高級ベンツが停車していました。
日本でもナンバープレートの数字が選べるようになって、横浜中華街で「8888」や「8688」というプレートを付けた高級車を見ることができるようになりましたが、同じ発想を見ることができて嬉しくなりました。
《オセアニア》
●オーストラリア・ブリスベン 【ブリスベン、コアラ、2000.12】
みなさん、始めまして。私は今オーストラリア第三の街ブリスベンというところで英語学校に通いる者です。
今こちらでは、真夏ですが(といっても最近はかなり涼しい)日本ではそろそろ雪が降る頃でしょうか?
そろそろ日本の味が恋しくなりはじめたころです。
オーストラリアといえば食事のレベルの低さが有名ですが、今私が住んでいるサニーバンクという地区(市内から10キロぐらい)ではアジア系移民が多く中心のショッピングセンターではリーズナブルで美味い料理が楽しめます。
ブリスベンの中心にはチャイナタウン(広東系が中心らしい)もありますが、かなり小規模なもので、最近はその機能がサニーバンクに取って代わられているようです。
まあ、サニーバンクは台湾系の移民が中心なようですが。
今住んでいる家の大家さんはマレーシア出身(広東系)の初老の女性で、先に移民した妹さんの看病(すでにガンで他界)のために移民してきたそうです。
ルームメイトは台湾人(ミン南系本省人)留学生で、前は香港人(福州系)やインドネシア人(潮州系)等と華人がほとんどです。
まあ、オーストラリアの教育当局もアジアからの留学生の誘致で儲けようとしているようですが。
最近の日本の私大もそういう方針のところが多いようですが。
「サニーバンク」という所はそんなに大規模なものではありませんが「郊外型チャイナタウン」の一種で、大型ショッピングセンターを中心に中華料理店や中国料理の食材店などが集まっている場所です。
この国では、多くの人々が郊外の一戸建て住宅に住み、郊外に点在する大規模なショッピングセンターにたまに買い物にいくというライフスタイルが一般的なようですが、「サニーバンク」という地区は主に華人からなるアジア系が集中しており、且つ彼らを対象とした商店も集中している所ですが、そこがそういう所になった経緯は分かりません。
具体的な数字は分かりかねますが、最近華人人口が急増していて、彼らを背景として次の州議会
議員選挙に台湾出身の27歳(弁護士にして実業家)の男性が出馬するそうです。
たださすがに華人系の財閥といったものはまだないようです。
●パプアニューギニア・ポートモレスビーの華人社会 【R大学・院生、I 氏、2000.7】
現在、パプアニューギニアの首都、ポートモレスビーに来ております。
昨年行ったフィールドワークの続きをするために、当地の華人を訪ねまわり、特にマレーシア出身の華人に焦点を当てて話を聞いています。
ただ、ポートモレスビーは非常に治安が悪く、一人で歩き回ることが困難な状況であり、なかなか思ったようなフィールドワークができない状況です。
知り合いの華人も何人も強盗団に襲われ、すでに帰国したり、オーストラリアに再移動したりしていました。
|